不登校5年から再登校のきっかけは?復帰への道のりと復帰後のリアルな葛藤

不登校 再投稿

こんにちは、みらぴかキャリアサポーターの上田さや香です。
小学2年から小学6年までの5年間の不登校を経験しました。その後、中学校から再登校をしています。
不登校から復学することは決して簡単なことではありませんでした。
お子さんが不登校で「再登校できるのかな?」「復帰するのに親にできることはある?」と不安な方もいらっしゃるのではないでしょうか。
このコラムでは、どのような理由やきっかけで復学を決意したのか、そしてリアルな葛藤に焦点を当ててお話ししたいと思います。

再登校のハードルと葛藤

不登校生活が始まってからの数年間で充分に休むことができ、やりたいことを存分に追求できたことから、小5の頃、約1年後の未来である中学校入学を意識し始めました。「また学校に行き始めるとしたらこのタイミング」と思い、復学するかどうか一人で悩むようになりました。

しかし、不登校生活が長引けば、自らが「学校に行っていない子」というイメージを周囲に創り上げています。その他、勉強の遅れ、学級への適応、そして周囲との人間関係の構築など、再登校へ克服すべき課題は山積みでした。

「学校に行きたいような気もする」「でも環境を変えるのは怖い」といった葛藤から、深く考えるのを避けていました。

再登校の後押しになった「高校進学の選択肢」

そんなとき、19歳の兄からの一言が再登校へ私の心を揺さぶりました。

「中学校からは行っとけ。将来の選択肢が広がるから」。

兄は、私が中学校3年間も引き続き不登校を続けた場合、内申点を取得するのが難しくなり、全日制高校への進学が不利になる可能性があることを分かりやすく説明してくれました。

「復学したいけれども、勇気が出ない」と葛藤していた私にとって、「自分の未来の選択肢」の話は一歩を踏み出すきっかけになりました。

そして、親に相談をし、中学校から復学をすると決断。再登校への道のりのスタートとなりました。
親からは「え?行くの?」と驚かれたのを今でも覚えています(笑)。

再登校に向けての道のり

再登校を決断した後は毎日が勉強の日々でした。勉強自体はとても楽しく、毎日充実した気持ちで取り組めていました。ただ、小学校って5教科の教科書の内容を網羅しておくだけでは足りないんですよね・・・

当時、再登校後のことを想像したときに「自分だけ知らないということで恥ずかしい思いをしたくない」という気持ちがとても強く、「リコーダーってどうやって吹くんだろう」、「習字やったことないな・・・」など勉強以外の分野についても自分が経験がないことに不安を感じていました。

できないことや知らないことがあっても堂々としていればよい、と親は思っていたそうですが、私が他の生徒たちとどれほど異なるのか、その違いが自分をどう映すのかということばかりが気になっていたように思います。

「得意」を持っておくことができた安心感
そんな中でたまたま母の知人に習字の師範がいたことから、習字を習うことを薦められました。
学校に行っていない生活の中で、学校で習うことを補填し「知らないことはいっぱいあるけど、これはできる」と一つだけでも自分の得意分野があることで再登校後の自信に繋がった気がします。

緊張が走る中学校の入学式

入学式の日はとにかく緊張。そして一番強い思いはとにかく「目立ちたくない」だったと思います。
そんな中、救いだったのは近所の同級生と待ち合わせて一緒に登校することができたこと。
親が事前に連絡を取り合ってくれていたんですよね。友人とはぎくしゃくとした会話でしたが、それでも学校に入るときに「一人じゃない」という安心感がとても印象に残っています。

友達からかけられた一言が救ってくれた
私が通っていた中学校は3つの小学校の卒業生が入学しているので、「幼稚園が一緒でその後別々の小学校に行った友人」と再会しました。

私が不登校をしていたことを知らない彼女から「〇〇小学校ってどんな感じだったの?」と小学校の様子について聞かれたとき、答えられるはずもなく。ありのまま「私学校行ってなかったからわからないんだ」と答えました。内心どきどき。

ただその時にその友人が「え?行ってなかったの?でも中学校から来てるの?なんかすごいね!」と返してくれたのです。そして不登校をしていた間は何をしていたのか等、興味津々に質問をしてくれました。

この「なんかすごいね」がとても嬉しく、腫れ物を触るような反応ではなく、純粋に自分を認めてくれた、そんな安心感と少しの自信をもらえました。

再登校後、学校生活に慣れるまで

再登校後、生活に慣れるのは簡単ではありませんでした。毎日の授業、クラスの友達との会話、そのすべてにとても緊張していたのを覚えています。

その緊張からか復学して2か月後に肺炎を起こし、そこから2週間以上学校を休むことに。
親も先生も友達も「またこのまま休むのかな」と恐らく思っていたと思います。

しかし、復学してからの2か月間、緊張はあるものの、それ以上に友達との時間が持てていたことがとにかく嬉しかったんですよね。不登校の時期になかなか得ることができなかった唯一のもの、それが「友達との時間」だったからこそ、もう一度、再登校し頑張ろうと思えました。

そして、自分の中でお守りのように唱えていた言葉は「休むのはいつでもできる」ということ。
一度不登校を経験しているので、また行かない生活になったとしてもそれがどんな生活であるかもちろんイメージできますし、親も肯定してくれる。だからこそ、「休むのはいつでもできるから、頑張ろう」と思えたのだと思います。

まとめ

自分が不登校をしていたことを周囲が知っている中での再登校は簡単ではありませんでした。
しかし、一歩を踏み出す勇気は、「少し先の未来の選択肢」を想像したことであり、くじけそうになったときに支えになったのは「不登校をしていた自分や生活を肯定的に受け止めている」ことだったと思います。家庭が安全な場所であり「疲れたらまた休めばいい」というお守りがあったからこそ、前に進むエネルギーになっていたと思います。

これまでに不登校を経験した当事者として、「不登校になった当初の状況」や「不登校時代の生活と勉強との付き合い方」、そして「親の対応」について体験談をお話ししてきました。(リンク貼る)
子どもが不登校になり「どうすれば良いのか?」、「このまま学校に行けなかったらどうしよう」と心配になり、悩んでいる方々にとってこのコラムが、少しでも悩んでいる方の参考になったら嬉しいです。

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上田 さや香

みらぴか認定サポーター

大学で臨床心理学を学ぶ。「対話を通じて人の役に立ちたい」という軸をもとに人生のターニングポイントに携わりたいと気持ちから、ウェディングプランナーとしてキャリアをスタート。その後、大手人材紹介会社に勤務し、アドバイザーとして転職支援をはじめ、社員研修企画・講師を経験。独立後は、企業研修や社会人向けキャリアカウンセリングを中心に従事。これまでキャリア相談は約1,500件、研修講師は約6,000名を対象に実施。不妊治療や特別養子縁組で子どもを迎えた経験、さらには東京から長野への移住といったライフイベントを自身で経験し、「進路選択」や「仕事選び」という一つの側面だけでなく「生き方」という広義の意味で子どもとの関わり方や相談者の想いの整理をサポートを行っている。

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